【理念】海外サッカー選手、鬱、ビジネス月500万…様々な経験を経た今込める思い

こんにちは。かけちです。

 

今回は僕のこの情報発信に込める理念、

海外サッカー選手、心臓病、社会人、鬱、ビジネス月500万…

キラキラした世界も自由も
汚い闇の世界も
苦労も喜びも悲しみも希望も絶望も。

 

様々な経験を経た今、
僕かけちの今後の人生に込める思いを書いていきます。

 

・かけちはこういう自分になるんだ!
・こういう世界を作り上げるんだ!
・かけちを追えばこういう世界に行けるんだ!

そんなことを語る理念記事だと思ってください。

 

いろんな話をぶっ飛ばして
僕の今後の人生のテーマから書くと、

「Life is contents.」

 

これです。

 

「夢中」の毎日

 

僕は、小学1年生からサッカーを始め
ずっとサッカー選手を夢見ていて、

23歳の時にポルトガルでサッカー選手になりました。

誰もが憧れるも途中で捨ててしまうサッカー選手という夢を、僕は最後まで持ち続けていました。

 

が、このプロサッカー選手になるまでには相当の時間とお金と熱量を注げてきましたね。

 

苦悩とコンプレックスも大量に抱えて生きてきました。

海外サッカー選手と言うと相当のマインドの持ち主だと思われるのですが、僕は「マインドの弱さ」や「普通」と言われることが超コンプレックスでした。

 

大学時代などは特に、
サッカーの実力でも底辺でさらにコミュ障が重なりイジメに近いことを受けていました。

大学時代には死んでも戻りたくないです。

サッカー中は僕が下手なのもあって罵倒の嵐。

プライベートでも自分以外でLINEのグループが作られていたり、1人で授業を受けていたり。

彼女も大学時代は1人もできなかったし、特に遊んだと言うこともない。

 

誰とも関わりたくなかったので部屋に篭り、ひたすら大学の4年間が終わるのを願うだけの生活でした。

学費を払ってもらった両親には申し訳ないですが、

「早くこの4年間終われ・・・」

と願いながら夜は眠りについていました。

 

そんな中でもなぜか
「海外に行けばサッカー選手になれるのではないか。」

という謎の自信だけはありました。

この状況を克服したかったのもあったかもしれません。

 

そんな思いはありつつもなんとなくで就職活動もしていたんです。

まあ当たり前と言えば当たり前。

ごくごく普通のレール。

 

ただ、そのごくごく普通のレールをぶっ壊す出来事がありました。

それは高校から一緒で仲の良かった大学の後輩がきっかけです。

 

その後輩は岐阜から東京に出てきてたった半年で、

「僕サッカー部辞めます。」と言い出した。

何言ってんだこいつ馬鹿か?と思いつつも、そいつの目は異様にキラキラしていたのを覚えています。

 

「いや同時にやればよくない?」

と僕が聞いても
そいつは決して曲げなかった。

普通のレールをぶち壊して、
皆におかしな目で見られても

曲げないでひたむきに一直線に走ってるそいつを見て、僕は心底”カッコいい”と思いました。

 

「その時自分はやりたくもない会社に就職して何をしているんだろう・・・」

そう思ってずっと夢だったサッカー選手を人生賭けて目指すことになります。

 

俺もそんな生き方をしてえ。

「普通」を脱却してカッコいい人生を生きてえ。

そう思ってしまった。

 

そいつにとっては何気ない一言だったかもですが、それがかけちという人生を大きく狂わすことになるのだから面白い。

そこから僕は海外サッカー選手になれたので。

 

 

また戻ってこの経験をするか?

 

と問われたら即答でイエスと言えるかはわからない。そんな辛く険しい道のりでした。

でも、そういう経験こそ覚えてますよね。

記憶に残る。

不思議と。

 

楽して手に入れたものとか、
なんの不自由もない生活とか、
辛くもなんともない時とか、

そういう経験って不思議と心に残ってない。

 

口を開けば、
「自由になりたい。」
「楽して稼いでいきたい。」
「のんびりストレスなく過ごしたい。」

と言うのに誰もその記憶は印象に残っていない。

 

墓場で思い出す思い出は、

きっと苦労しながらそれでも魂を燃やして必死に向き合って乗り越えた経験なのだろう。

 

『もしや人は苦労をして魂を燃やすために生まれてきているのか?』

とさえ思います。

 

 

そんなやっとの思いでサッカー選手になった後も、

それはもう刺激的な毎日で、
1年間ポルトガルで生活しました。

ここでは割愛しますが、
本当は1万字でも10万字でも書ける話があります。

 

プロになったと思ったら
手続きの関係で最初試合に出れずに練習だけしてたりとか、

そもそも日本語も通じなければ通訳者もいないし、

ろくな飯が食えなくて外国人女性にナンパしてご飯を作ってもらったり、

ブラジル人4人と同部屋で過ごすし、

トイレでオ⚫︎ニーしてたらドアノブの隙間からブラジル人に見られてて言いふらされるし、

試合に出れたと思ったらデビュー戦で大やらかしするし、

 

 

23年の長い人生をたった3ヶ月でも凌駕するようなそんな「夢中」や「刺激」の毎日でした。

 

突然と消えた「夢中」

 

ただ、そんな生活は心臓病によって終わりを告げました。

「肥大型心筋症」

という心臓の難病です。

 

スポーツ選手の突然死No.1の病気で、僕は強制的に引退を余儀なくされました。

リーグ優勝も直前で
「あと一勝で優勝だ!」

そんな夢への一歩の直前で夢半ば。

僕は燃え尽きました。

 

いや、
「あなたはもう引退してください。」

この一言で燃え盛っていた炎は一瞬にして水をかけられ燃え尽かされました。

 

リーグ優勝の決定戦、
僕はスタンドでサポーターのみんなと応援していました。

本当ならあの場に立って
優勝してみんなでバーベキューだ。

そんな夢を見ていたのにこの現実の不甲斐なさに涙を堪えながら見ていました。

 

試合は拮抗して後半ラスト10分、
ついにチームメイトの選手がゴールを決めて
1−0と勝ち越しました。

すると選手たちが僕の着ていた20番のユニフォームをスタンドの僕に掲げてくれたんです。

僕はそれまで堪えていたものが爆発して大号泣しました。

スタンドのサポーターたちとも抱き合ってわんわん泣きました。

あの時は言葉なんて通じなくても全てが通じ合っていたように感じた。

 

(その時の話はこちらのnoteでも書いてるのでぜひご覧ください。)

17年やったサッカー人生はあっけなく終わった|かけち
17年のサッカー人生はポルトガルで突然終わりを告げた。 医者はツラツラとポルトガル語を日本人の僕に話していたが全く分からない。 ただ聞き取れた言葉が一つだけあった。 「você não pode jogar futebol」 「あなたはサッカーができない」だ。 僕は6歳からサッカーを始めた。 保...

 

 

でもプロの世界ってこんなもんだと思います。

僕は病気でしたけど、
怪我で突然引退する人もいるし、

突然首を切られることもある。

 

どんなスポーツ選手も
どんな過去の栄光がある人も

「今」死んだ目をしていたら誰もすごいとは思わないし、羨ましいとも思わない。

でもスポーツの世界は特にこういう現象が多いなと思います。

一度は燃えれるものがあったのに
燃え尽きてなんとなく今を生きてる人が多いのでは?

 

サッカー選手のセカンドキャリアとかマジで残酷だし、

オリンピック金メダリストの30%が鬱のような症状になるとも言われてるから。

 

努力の才能とポテンシャルしかないのにくすぶってるが無限にいるなと、

同じスポーツしていた人とかからはこんな悩みを本当に聞きます。

 

もう一度あの頃の輝いていた自分を超えたい

 

そんなこんなで、、、

僕は刺激的だったサッカー選手を引退後、情報発信ビジネスの世界にどっぷり入ることになります。

 

当時はそんなこと思っていませんでしたが、今思うと燃え尽きを補うようにビジネスにのめり込んでいたのだと思います。

 

もう一度熱く燃えたい。

もう一度あの頃の輝いていた自分を超えたい。

もっともっともっと。

 

そんな思いで情報発信ビジネスにのめり込みました。

自分で言いますが、
僕の炎はデカいので一度決めたら大体のことは達成します。

というか、
海外サッカー経験で炎がデカくなりました。

欲しい結果は大体手に入れることができる。

夢を叶える能力というか
一度決めたら折れないハートがあります。

 

そのサッカーに注いでいた情熱をそのまま情報発信ビジネスに注いだわけです。

当時は副業でビジネスやっていたのですが、本業には炎を注いでいません。笑

クソサボってとにかく定時で帰ってました。

 

当時は全てを「脱サラする」という目標にフルベットしました。

特に会社に辞めます宣言をしてから辞めるまでの3ヶ月間は燃えましたね。

 

とにかく仕事中もビジネスのことを考え、仕事は誰より早く切り上げて定時で帰り、マックにこもって夜中まで作業をする。

休みの日は飯食うのも忘れてコンテンツ作成。

気がついたら月100万円を超えてました。

 

1ヶ月必死に働いてでしか手に入らないお金が、たった1時間で稼げた時もありました。

あの時のドーパミンは今でも忘れません。

メールボックスに「あなたの記事が購入されました。」の通知が無限に出てくる快感。

 

その快感のまま僕は脱サラをしました。

 

目覚ましをかけずに寝れるニヤニヤ。

目覚ましがなく皆が働き始める頃に起きる朝。

久々にゆっくり食べる朝食。

誰にも怒られることのない仕事環境。

誰とも会わないストレスのない日々。

副業時代に貯めた400万の貯金。

夜更かししてもなんの問題もない。

何不自由のない生活。

 

そんな幸せを噛み締めていました。

「俺は自由を手にしたんだ!」と。

 

でも、おかしいんです。何かが。

 

どんどんと無気力になっていく自分の体。

僕は気がついたら3日間ベッドを出られなくなっていました。

 

お金は稼げてもリアルは満たされない。

孤独。

絶望。

虚無。

 

3日間ご飯も食べず、
水も飲まず、
風呂も入らず、
歯も磨かず、
トイレも行かず、
LINEも全て遮断、
電話も無視、

ベッドの上でヒロアカを見るだけの3日間でした。

 

さすがに心配した友達が安否確認として僕に連絡があったところで、「あ、やばいな」と思いその友達に外に連れ出してもらいました。

その後実家に一旦帰ることにして、その翌朝母が作ったかぼちゃの煮物を食べてなぜか涙がこぼれてきたのです。

「あ、俺は壊れたんだ。」

そう受け入れるのには十分すぎる出来事でした。

 

僕は心が壊れたのを受け入れて、少し休んでいたところ新たな出会いが僕の人生をまた動かしたのです。

 

 

年間で億稼ぐ人たちとの出会いと決断

 

心を壊していた頃、

情報発信で繋がったある方に旅行に誘ってもらいました。

 

「気分変えにいきましょう!」という感じで。

その旅行前日でした。

前日に集まってシーシャに行きましょうということでお誘いいただき参加することに。

 

僕は当時名古屋に住んでいたので東京に乗り込み、ドキドキしながらシーシャ屋に向かったのを覚えています。

 

お誘いしていただいた方と話していると
そこに遅れてある方が現れました。

その時は直感的に
「あ、この人とは交わる世界線はないだろうな」

と感じて身震いしたのですが、後にこの方に人生を大きく変えてもらえることになります。

 

情報発信や企業コンサルなどで億を稼ぐような経営者で、
せっかくの機会なのでいくつか質問させてもらいました。

 

質問は3つほどだったと思います。

というか3つくらいで聞くことがなくなりました。

それくらい抽象度が高いというか本質を捉えているというか。

 

その中で強烈に印象に残ってることがあります。

僕は、「お金を稼いで病んでしまうことはないですか?稼ぐほどに楽しくなくなりませんか?」と聞いたんですよ。

すると、「楽しいけど?」

この一言。

 

このなんでもない会話ですが、
僕は強烈に憧れと希望を抱きました。

 

この方と15分くらい会話したくらいのところですかね。

僕は一言。

「コンサル受けさせてください。」

そう言いました。

 

この方のコンサルは当時1年600万でそれも知ってました。

僕には600万の貯金もないし既に脱サラしてフリーランスでしたが、ただただ直感に従ってそうお願いしました。

「いいですよ。」

と快諾してくださりコンサルがスタートしました。

 

その翌日からの旅行で僕はコンサル教材を受け取り、のめり込むように聞きましたね。

あのワクワクは忘れません。

大好きな漫画で感じる、
もう一度知らない時の自分に戻って聞きたいくらい。

 

そのワクワクのままに僕は情報発信に再びのめり込みました。

あと、頭金として300万を振り込んだので
そのひりつきと焦りもあり

猛烈にビジネスに打ち込みました。

 

 

具体的に学んだこととしては、

『原理原則』と『抽象具体思考』ですね。

 

今までは
「Xの稼ぎ方!」
「フォロワーの伸ばし方!」

といった具体的な応用の効かない手法ばかりを学んでいたのですが、

 

「人の性質」
「人がモノを買う原理原則」
「他ではなく自分が選ばれる理屈」

などといった人間理解の部分を抽象度高く学び、それを具体に落とし込む抽象具体思考です。

 

本当に見える世界が変わりました。

今までがいかに狭くて低い世界を見ていたのだろうという感覚です。

地面からしか見えてなかった世界が、空を飛んで上から視力5.0で超見えるみたいな。

 

600万という危機感からの外的要因も多かったように思います。

今思うと、サッカー選手時代のような内なる情熱ではなかったように思いますが。

 

 

すると、、、

コンサル開始から77日で740万円の売り上げをつくりました。

 

たった3ヶ月弱で600万をペイしたところかプラスに。

月100万は切らなくなっていき、
月200万、月300万、

どんどん増えていく利益。

 

大学時代は100円のパンを買っては家計簿アプリに書き込んでいたくらい貧乏性だった僕が、お金を躊躇なく使うようになりました。

そんなに無駄使いするタイプではなかったですが、

Uber eatsから始まり、
100万以上のコンサルをバンバン受けたり、
シャンパンを開けたり、
一食数万円のご飯やら。

旅行も毎月のように行きます。

 

毎月100万単位のお金が出たり入ったりしていました。

 

当然、情報発信でも影響力が増し、
「かけちさんのファンです」
「コンサル受けたいです」
「会えて嬉しいです」

そんな声も増えていったんです。

 

 

僕が教えたコンサル生たちも次々と成果を出してくれました。

半年で600万稼いだ方や
4ヶ月ほどで月200万超えた方
発信開始2ヶ月で44万超え
コンサル3日で120万の売り上げ

などなど書ききれない程の成果を出してもらい、

 

「かけちさんのおかげで人生が変わりました。」

そういってもらったり、
生徒たちと島に旅行に行ったり。

>>>青春。淡路島に生徒や孫生徒など総勢7名でワーケーション行ってきた。

 

 

『明確に人生が変わった。』

そう思いました。

 

 

さらに様々なコンサルを受けたりして学び続けて月500万も超えましたね。

毎月のように島に行って旅行しながら仕事をしたり、コンサル生にも恵まれて自由でなんのストレスもない生活を送れるようになったわけです。

 

この時思いましたね。

「あ、僕があの時病んでしまったのは結局”お金”の不安だったんだ。」

「結局、”お金”が解決してくれるんだ。」

と。

 

当然と言えば当然で、
月100万の時に脱サラして病んでいたのが月500万になって元気になっていたから。

 

「じゃあ次は、月1000万を目指そう!」

「そしたら次は億だ!」

「病むのは稼げてないからで、稼げば全て解決するんだ!」

 

そんな思考になっていきました。

 

でも、それは間違いだったんだと気づく出来事が起こります。

 

 

月500万、何不自由ない生活、豪華なパーティー…その先に見た『絶望』

 

お金も時間も自由を手に入れて悠々自適な生活を送っていた僕。

最高で月500万。

毎月100〜300万は安定している。

なに不自由のない生活。

 

そんな時、某有名な誰もが知る経営者の誕生日パーティーに知人の紹介で行けることになりました。

 

僕は「このパーティーに参加すれば自分のブランディングになるぞ」

そんな下心でパーティーに参加させてもらいました。

 

その誕生日パーティーでは、

誰もが知る経営者だけではなく、
YouTubeの喧嘩系の某番組の人や
政治界で超有名な人まで

結構な面々が顔を出されていました。

 

招待してくれた方や
参加した僕や友人たちでシャンパンを開けたり、

88万円の世界一高級なトリュフアイスが売れたり、

豪華な料理などが並んでいたりと・・・

 

一見すると煌びやかで豪華な世界。

僕も最初は気分も上がっていました。

 

 

ただ、僕はそこでかすかに『絶望』を覚えました。

 

最初は違和感程度だったのですが、ふと思ったんですよね。

「あれ?誰も誕生日祝ってなくね?」と。

 

いや、まあ当然パーティーといういろんな方が来るのでまた別の身内でやっているのかもしれませんが。

僕の目にはそう映りました。

 

どこかどんよりした欲望に渦巻いた気配が漂うというか。

ビジネスチャンスを伺い目の奥が欲めいている男たち。

某経営者のパーティーに来ていることに優越感を感じているだけの女性たち。

 

金、地位、名誉。

 

サッカーを超える熱いものを探して情熱を全て注ぎ込んできたのに、この世界の頂上の景色はこれだったのか?

 

その事実に僕は『絶望』を感じてしまったのです。

 

当然、これが全てではないと思うしここが頂上ではなくもっと何かあるかもしれない。

僕なんてまだまだなにも成し遂げていないのでそう決めつけるのは早いかもしれない。

それでも僕はなにもワクワクする世界がそこにはなかった。

 

そうだ。

子供の頃、サッカー選手を夢に見て希望を抱いたあの時とは明確に違ったからだ。

 

 

そして僕は自分にも絶望をしました。

「自分も祝ってねえじゃん。」

自分もその絶望の一員だったからです。

 

 

月500万という一旦の目標も叶えて、
そして絶望も感じて、

僕はまたなんとなくベッドから出られなくなりました。

 

おかしい。

あの頃よりももっとお金と時間の自由が手に入ったはずだ。

ストレスなんかもなく苦労も悲しみもない。

それなのにまたあの時の鬱状態に逆戻りしました。

 

サッカー選手時代の情熱の炎を心臓病で強制的に消されたように、僕のビジネスに対する炎は消えかけていました。

 

僕は完全に心を折られた。

 

 

そんな時でした。

僕の人生の第三章?となる人や世界との出会いがあったんです。

「人生とは巡り会うべくして巡り会うのかもしれないな」

そう感じるほどにベストタイミングでした。

 

 

夢中で生きている人たち、そして目に見えない世界との出会い。

 

僕はメリットデメリットの関係に疲れていました。

お金のメリット。

そのお金がなくなった途端に切れる関係。

 

そんなメリデメの関係に疲れるように僕は島に行っていたのだと今になると思います。

島にはそういう関係がないように感じたからです。

 

そんな絶望を感じ始めていた時、ある方との出会いがありました。

情報発信仲間の繋がりであるオフ会に参加させてもらった時のことです。

 

そのオフ会は妙な安心感が漂ってました。

ただ、それと同時になにか違和感というか僕の知らない世界がありました。

 

そこにはビジネスに対して本気で熱量を持って、目をキラキラさせながら動いている人がいたんです。

僕はそれが不思議でたまりませんでした。

 

ビジネスの世界に一度絶望した身として、その人たちは僕からしたら見たことのない人種だったわけです。

 

「本気で世の中を変えたい。」

 

そんな言葉を放つ人たちを僕はどこかうがった目で見ていました。

実際、うがった人ばかりでした。

でも直感的にこの人たちは本気でそう思ってるんだろうなと感じたのです。

 

ただ、その人たちは何やら怪しげな話をしていました。

 

 

『エネルギー』

というワードです。

 

もっとわかりやすくいうならば
『目に見えない世界』です。

 

お金や数字や実績などといった目に見えるものではなく、目に見えないものを学んでいるといっていました。

 

僕は正直怪しげな集団だと思ってしまいました。

常に目に見えるもの「結果」を追ってきた人生だったし、目に見えないものに縋るのは努力を怠った怠慢な人がやることだと思って生きてきたからです。

 

でもその方々は違いました。

スピ系や自己啓発系に走って
結局何も結果に繋げられていない人とは違い、

ちゃんとビジネスでも結果を出されていたし、

何より毎日目をキラキラさせながら人生を熱く生きている。

 

そこには目で見えるもので説明できない”ナニカ”があるように感じたのです。

 

そんな流れから僕はコンサルを受けることにしました。

でも完全に信じていたわけではありませんでした。

 

「エネルギーという目に見えないモノをちゃんと学んでから否定しよう。」

「この人たちの熱い心はなぜ生まれているのか知りたい。」

そんな探究心があったからです。

 

ただ、一番は
「あの頃を超える熱くなる人生をまた見つけたい。」

そんな野望です。

 

 

そこでエネルギーについて学んでいくと、

 

・自分が今夢中になれていない原因
・鬱になった原因
・サッカー時代の夢中
・ビジネスで結果出てる時と出てない時
・稼ぐほどに病み出す人の謎
・結果出る人でない人の差

・・・

 

などなど全ての事象が
「エネルギー」という概念で説明がつきました。

抽象度が鬼のように高い。

時にはロジックで考えること自体が無駄なこともあるけど、だからこそ全ての事象が繋がっていったわけです。

 

ビジネスの時に学んだ「人間理解」のそのまた上の抽象度。

心からワクワクするモノを感じました。

 

というのも、
僕はこれまで何十人とコンサルをしてきて
どうやっても結果を出せない人がいました。

コンサルをして100%全員結果が出たかというと必ずしもそうではありません。

 

知識さえ僕から渡せば勝手に結果をぐんぐん出していく人もいる中で、

知識を渡しても動けない人たちもいた。

 

まあ、動けてないのはその人のせいだからほっておけばいいというのもあるけど、僕はそこに対して物凄く探究心と情熱が湧いていました。

「なぜこの人たちは動けないのか?」

「どうしたら動けるのか?」

「何をしたらこの人たちの人生を変えられるのか?」

 

もっといえば
「稼げて結果出ても楽しくなさそうな人たちはどうしたらいいのか?」

「お金という結果だけでなく人生単位でこの人たちが燃えるモノを見つけるためにはどうしたらいいのか?」

 

 

そんなことに僕は興味や悩みがありました。

 

だからこそこの『エネルギー』という目に見えない世界に興味が湧いたんです。

エネルギーは人間の一番源を担っている部分だからです。

「この次元の話を会得できたら最強じゃね?」

そう心から思いました。

 

 

実際少し学んで実践しただけでも
自分の心もあまり病まなくなっていったし、
人と関わって人生を変えるのが楽しくなったし、

今まで見えていなかった世界が少しずつ広がっていく感覚がありました。

 

 

そんな時僕は新たに魂を燃やすモノを見つけました。

 

 

海外サッカー選手、鬱、ビジネス月500万…様々な経験を経た今込める思い

 

長かった。

ここからが本題という感じです。

でもここまでの流れを見ると全て出会うべくして出会っているな。
無駄なことなどないんだな。

そう思えます。

 

海外サッカー選手、鬱、ビジネス月500万…様々な経験を経た今込める思い。

 

それは「Life is contents.」です。

 

僕は今は情報をコンテンツにして売るのがメインですが、究極的に『人生』をコンテンツにしたいと思って生きています。

栄光の過去ももちろん自分の価値となりますが、鬱であったり絶望であったりそういう一見情けない人生もまたコンテンツになるんだと伝えたい。

輝かしい過去も闇に塗れた過去も
全部全部誰かの価値となるコンテンツなんだよ。

そう伝えられる人生を歩みます。

 

かけちという自分の人生をコンテンツにして、それを読んだ人が感動し何かを踏み出す一歩になってほしい。

内に秘める熱いものに打ち込む勇気になってほしい。

一度燃え尽きた人生でも再度燃えるきっかけになってほしい。

 

僕がサッカー選手を目指していたり
サッカーに打ち込んでいた海外生活は間違いなく内から秘める情熱でした。

誰がなんと言おうと曲げない。

「お前には無理だ」と散々言われたり、

プロになるまでにとてつもない挫折と失敗があったりしても絶対に信念を曲げることはなかったです。

その結果夢も叶えた。

 

その後のビジネスに関してはもちろん楽しかったですが、外的要因によるモチベーションが多かったように感じます。

お金を注ぎ込んで追い込んだり、
引っ越して追い込んだり、

追い込んで追い込んで無理やりやるしかない状況を作っていました。

もちろんそれも悪いことではないと思ってるし、
追い込めるというのもまた好きじゃないとできないですし。

 

ただ、本当に心から燃えるものではなかった。

その証拠にサッカー選手時代はどれだけ追い込まれても決して心は折れなかったからです。

自分の中にぶっとい信念があって、それが引っかかって折れなかった。

 

 

世間体とか
他人の評価とか
外的要因によるモチベとか、

そういうものではなく心から燃える日々で毎日の人生を生きて、それをコンテンツとして世に残したい。

 

今世の中は、「なんのために生きているか?」と聞かれたら答えられない日本人が多いように思います。

それは便利な世の中になってきたからこその
結果主義的な世界が招いているものだと思います。

 

「お金、地位、名誉・・・」

 

そういった目に見える結果でしか自分の価値を表現できないし、相手の価値を判断できないからこそ、

僕たちビジネスマンで言えば
「お金」を稼ぐことでしか満たせなくなっていくわけです。

月20万稼いだら次は月100万、次は月300万、次は1000万、1億・・・

 

その先に燃えるものはないのに、
そこしか判断基準がないので病みます。

インフルエンサーとかはみんな病んでます。

そこに自分がこうありたいとか
世の中をこうしたいとか
誰になんと言われようがこうしたいとか

そういう信念やアイデンティティがないからです。

 

 

スポーツマンもそうです。

冒頭でも書きましたが、
スポーツ選手の燃え尽き率は半端じゃない。

僕のようにスポーツでは突然プレイヤーには終わりが来てしまいます。

特にスポーツ選手のセカンドキャリアなどは壊滅的で、ほとんどが苦労します。

 

スポーツ以外に知識もなければ
やりたいことも見つからない。

世の中を感動させるほどの実力と情熱を持っている素晴らしい人たちばかりなのに、その多くが腑抜けたもぬけのような人生を送っています。

そんな人たちを再度燃え上がらせる手伝いができたら最高に熱いと僕は思いました。

 

僕にしか語れない、
サッカー選手やビジネスの
過去のストーリーがあるからです。

これは俺にしかやれない。

俺が世の中を変えれる。

そう思うとものすごく燃えるものを感じました。

 

まずは、ビジネスしている人たちや燃え尽きたスポーツマンたちに

マーケティングの知識を通して
心から燃えるものを見つけてもらいます。

 

そのために僕は動くし学ぶし、
稼ぎまくりもします。

今までは金額を増やすことが価値だと思っていたけど、そのお金をどう使うかに価値を感じました。

だから「稼がない」という話をしているわけではないです。

 

ゆくゆくはビジネスやスポーツ関係なく
何かに燃え尽きてしまった人たちに
もう一度炎を灯せる人になりたい。

 

そんな人生を歩むべく
「Life is contents.」を掲げました。

 

 

そして、

自分の人生をコンテンツにするだけでなく、人の人生にも自分というコンテンツをぶち込みたい。

人の人生のレールを捻じ曲げて
その分岐点にかけちという存在を。

それでその人も同じように熱く生きてくれて、それをまた別の人に伝えていく。

僕1人の力で世の中を変えるのは難しいかもだけど、

1人づつそういう輪が広がっていって、心から燃えるものを持つ日本人が増えれば世の中は少しづつ変わっていくと確信しました。

 

そういう意味でも
「Life is contents.」です。

 

 

この話や信念に共感した。
という方は、

そう思った方は僕のXの発信や
YouTubeの動画やブログ
公式LINEやメルマガ
有料コンテンツ

そういったものを片っ端から見てほしいです。

 

 

一緒に目指したい。

そんな方は僕と人生単位で関わっていきながら学んでもらい、仲間となって一緒に目指していきましょう。

 

僕自身もまだまだ夢の途中なので
毎日心を燃やして必死に生きていきます。

 

終わり。

 

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