プロフィール自己紹介

初めまして。かけちといいます。

こちらは、僕の自己紹介記事になっています。

 

僕は今、Xで情報発信を仕事にし脱サラをして毎日のんびり自由に過ごしています。

毎月、会社員時代よりお金を稼げるようになりました。

そんな僕は、

小1からサッカーを始めずっとサッカー小僧でした。

大学もサッカーをガチでやって、卒業後は海外でプロサッカー選手として

サッカーで飯を食っていた人間です。

その頃から、ブログやXで情報発信を始めましたね。

サッカーを引退後は、営業マンとして社会人デビューをしてセールスも学びました。

一応、一年目で「営業全国売上成績トップ10」にランクインしたことがあります。

割とゴリゴリ売り込む型のセールスだったので、しんどかったしクレームも鬼のように入ってましたが。。。

その傍ら、Xやブログで情報発信を行い半年ほどで600万円近くを稼ぎました。

残業ゴリゴリで休み週1の副業でこれだけ稼げたので、割といいほうだと思います。

そして、社会人デビューしてたったの一年で脱サラをして、現在に至ります。(2024年2月現在)

自分で言うのもなんですが、なかなか異色の経歴を持っているかなと。

人生楽しいです。笑

小学校から大学までサッカーバカ

大卒で海外サッカー選手に挑戦

一度失敗し帰国後ニート

半年後ポルトガルに再挑戦

海外プロサッカー選手に

心臓病で1年でサッカー引退

帰国後、営業マンに就職

Xで半年500万円近く稼ぐ

就職後1年で脱サラ

 

ここまで聞くと羨ましいとか、元々才能があったとか思われるんでしょうか。

でも、全然そんなことなくてサッカーしかしてない脳筋バカでしたし、自分にコンプレックスまみれでイジメに近いようなことを受けてたこともあったし、そんな自分がこんな人生を送っているなんて書きながら結構驚きです。

 

でも、この情報発信の世界では、億を稼ぐような人もウジャウジャいたり南極に言ったとか、会社を何個も経営してるとかいうエグイ人も沢山いて僕はまだまだだなと思ってます。

なので、まだまだ学びまくってる最中ですね。

 

そんな僕は、最初は海外生活を発信できればいいなと何となくで始めたこの情報発信の世界で、

「文章で人を感動させたり稼いだり人生を変えたりできるのおもろ!!」

ってライティングやビジネスの虜になってしまいました。

ヘタレで脳筋Fランの僕でもそこそこ稼げる様になってそこそこ自由に生きることが出来ています。

 

そんな情報発信の世界や僕の異色な経験から、いろんな学びをこのブログに書いていくのでぜひ漁ってみてください。

 

このブログのコンセプトは Life is contents.」です。

まあ、僕の人生のコンセプトですね。

このブログを見ていけば、情報発信やビジネスで稼げるようになるのはもちろんのこと、「人生がコンテンツ」になっていく最高な瞬間を生きていけるようになります。

僕自身も、文章や僕の発信で人の人生を変えることが僕の目標なので、読んでるあなたがそうなるようにどんどん書いていきます。

 

人生を変えるためには、やっぱりお金も必要になるんですよね

僕が海外サッカー選手になることが出来た挑戦をさせてくれたのも、両親にお金を出してもらえたからです。

脱サラできたのも、お金が自分の力で稼げる様になったからです。

月に100万、200万と稼げる様になって、さらには自動で寝ていてもおかねがはっせいするようになったとするじゃないですか。

そしたらその分他の挑戦にお金や時間を使えるわけですよ。

それってやっぱり幸福じゃないですか。

会社で営業マンだった時の自分も、やっぱりストレスがいっぱいだったんですよね。

別に愛着があるわけでもない商品を必死に売り込んで、売り込んだ結果お客さんにクレームを毎日言われ、怒鳴られ、

それで営業成績が出なくなると社内でも居場所がなくなるんですよね。

売れたら売れたで、その分対応が増えて残業の嵐。

自分の時間なんてまるでないんですよね。

土日が出勤のことも多かったので、大好きな彼女ともデートに行けない日々。

やっぱりストレスは溜まっていつしか辞めたいと思うようになってました。

でも、月150万円とか稼いだら当然脱サラの選択肢も出てきたり、いつでも会社を辞めれるって思うとストレスも減ります。

会社の給料プラス副業収入があると、マジでお金が減らないし気付いたらめっちゃ貯金増えてるんですよ。

社会人3年目の友人は「貯金20万円」とか言ってましたが、僕は1年目で400万円とか溜まってました。

結構貧乏性だったんですが、お金を使うことに躊躇がなくなってきたり両親にプレゼントをしたり出来ましたね。

自己投資もバンバンできるようになって、30万円、60万円とか学びに使いました。

そしたらさらにお金が稼げるようになってくんですよね。

今度、億稼ぐような方たちと一緒に島にワーケーションに誘ってもらえたりもしたんですよ。

それに、自分の魂込めて作った息子のような商品をお金を払って買ってもらって、それで喜んでくれてその人の人生も変わるんです。

冷静にヤバくないですか?

 

あの頃のコンプレックスまみれだった自分に言ったらきっと驚くと思います。

と、まあこのブログでは僕の経験や知識をもとにあなたの人生を変える記事をどんどん書いていきます。

前置きが長くなりましたが、

僕の過去のストーリーをもとに僕の信念を語っていきますので、ぜひコーヒーでも飲みながらご覧ください。

 

過去の僕は自分が嫌いでした。

・・

・・

サッカーに明け暮れた学生時代

小学校1年生から、ずーーーっとサッカーしかしてないです。

正直、サッカーしか書くことねえなって落胆してるくらいです。

結構小学生の時は、めちゃくちゃ上手くてチームでは割と王様やってました。

大会に出れば、毎回MVP取った。

もう毎回でしたよ。家にトロフィー何個あったか。

結構自信もってた僕が、父に地元のクラブチームを紹介してもらったんですよ。

県内じゃ割と強めなチームで、とりあえずそこの練習に参加しました。

そしたらビビり倒しましたね。

「え、こいつらレベルちげーやん。聞いてない。」

もうね、チンチンにされました。

大人対小学生くらい。クソ上手いんすよ。

僕は心をズタボロにされて帰りました。全身も筋肉痛で階段すら登れなかったのを覚えてます。

「井の中の蛙大海を知らず」とはこのこと。

 

迷って迷って、ホントに迷いまくってそのチームの入団を決めました。

入ってみると、暴力は当たり前。怒号は飛びまくる。

圧倒的な大人の力で恐怖を植え付け、サッカーに向き合うことをさせられました。

近所のチームでは、監督が選手を蹴って両腕骨折させてたりしましたね。笑

小5でそのチームに入り、結局中3の最後までいて頑張りました。

この頃から結構努力するタイプで、中学生の時は朝6時に起きて小学校に行ってひたすら自主練とかしてましたね。

誰に強制されるでもなく。

この頃の目標は、「バルセロナの10番」でした。

毎日サッカーノートに書いてたので今でも忘れません。ただひたすらに毎日サッカーしてました。

結局、最後にはド底辺だった僕がこのチームの10番をつけるまでに成長して県内でも割とうまいほうの選手に成れたかなと思います。

この時の僕は負けず嫌いでした。

将来の鹿島アントラーズの選手になるやつがチームメイトにいたんですが、そいつに1対1で勝てなくて練習中に泣いてました。

泣きながら何度も挑みました。そんなやつでしたね。

・・

もがきにもがき苦しみ、最後に栄光を掴んだ高校時代

高校は、当初県外の静岡のサッカーの超名門に行こうと思ったのですが試験に落ち、県内のサッカーの強い公立高校に入りました。

ここでの3年間は苦しくもがきもがき、

その成果が最後の最後で現れた3年間でした。(あ、サッカーの話です。笑)

・・・

・・・

あんまりサッカーの話ばっかだと飽きちゃうので、手短に。

高校2年生の時の3年の代がクッソ強かったんですよ。

はい。冬の高校サッカー選手権で全国大会出ました。

全国で2回勝ってベスト16までいきました。

僕は、、、

15分だけ出場しました。

マジで悔しかったすね。出たかった。全国大会にスタメンで。

その悔しさを胸に、翌年僕が3年生の代で僕がキャプテンになりました。

主将です

あんまりそんなタイプではなかったんですが、半ば消去法で僕になりました。

このキャプテンの1年間がマジで地獄でしたね。

単純な話、去年のスーパーな3年生と比較されるんですよ。

んで、僕らの代は結構弱かった。

僕も、みんなを引っ張っていくカリスマ性なんてほぼ皆無だったから部員に文句ばっかり言われ、後輩にも舐められ、その重圧から試合では全くうまくいかず、

しまいにはベンチを温めるキャプテンになっていました。

「早く、この1年が終わってくれえええ・・・。」

ってガチで思ってましたね。クソキャプテンです。

ストレスでかは分からないですが盲腸にもなりました。

この頃から強烈に自分に対するコンプレックスが出来てきたと思います。

・周りに強く言えない自分
・周りに流される自分
・へたくそな自分
・弱い自分

 

でも、逃げずに頑張りました。

逃げないのは自分の強みかもしれないです。
根本が負けず嫌いです。

そんなこんなで
最後の大会、冬の選手権。勝ち上がって県大会の決勝戦。

僕のチームは惜しくも敗れたんですけど、最後にスーパーゴールを決めれたんです。

動画

さらに、この年の県内のベスト11にも選ばれました。

努力ってあきらめなければ実るんだなあって学んだ瞬間でしたね。

監督にも、苦しんで苦しんだけど、
「最後はお前のチームになったな。」って言ってもらえました。

リーダー像って僕の中では最初は、

「行くぞみんな!!」って引っ張るだけがリーダー像だと思ってたんですよね。

でも、僕にはなかなか出来なかった。

だから、人に頼ることを頑張りました。

人を動かす力ですかね?

どうやったらみんなが気分よく動いてくれるだろうとか考えてました。

そういうリーダーが居てもいいんだなと。

 

終り良ければすべてよしって感じで、大学サッカーに向かうんですが、大学では大きなコンプレックスを抱くことになります。

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・・

二度と戻りたくないコンプレックスまみれの大学時代

大学時代には、今いくら積まれても戻りたくないですね。

ホントにストレートに言うなら、早く4年間が終われと願っていました。

そのくらい絶望でした。

もう、スタートダッシュの時点で出遅れてたんですよ。

僕以外のみんながもうすでにグループを作っていて、僕もずけずけと行けるタイプじゃないので入れずにいました。

僕はサッカー部に友達は出来ずに、謎に出身が同じだったラグビー部の人といました。

ラグビー部の奴が居ない時は、ボッチです。

もうずっと周りをキョロキョロしながら生活してました。

分かりやすく言えば、僕がいた学部でサッカー部が10人くらいいたんですが、僕以外でLINEグループが作られていました。

これを後で知ったときは、僕は3日くらい寝込みました。笑

いや、ずっと引きずってたか。

他にも、同級生に超王様みたいなやつがいて、そいつに毎日イジメ見たく扱われていました。

僕も何も言い返せずにただ作り笑いをして平気なふりをしてるだけ。

「こいつさえいなけりゃ・・・」ってずっと思ってましたね。

もうホントに、いくら積まれても大学時代には戻りたくないです。。。

 

それに加えて、サッカーの実力もマジで底辺でした。

関東の大学に行ったんですけど、関東ってマジでレベルエグイんですよ。

「え?こいつが高校の時ベンチなの?」って。

サッカーの実力も、人間関係もズタボロでしたね。

圧倒的にコンプレックスを持って生活してました。

大学もほぼ部活に専念するようなところで、学力の方は残念な感じでした。

いわゆるFランです。

 

お金の話もすると、僕の母が割とお金にはこまめな性格で僕もケチケチしてる方だったと思います。

ある時は、毎日の支出額をアプリにメモして1か月1万円生活とかしてました。

とにかく安く安く毎日生活してました。貧乏性ですかね。

ただ、そんなにバイトはしないでサッカーだけするみたいな変な感じでした。

 

でも、サッカーはそれでもやっぱり必死に頑張りました。

自主練も強制されるでもなくメチャクチャやったし、練習も手を抜かずに毎日どうにか上手くなりたいと思ってやってました。

少しずつ結果が出始めて、初めて二軍に入れたんですよね。

僕からしたら快挙です。

ちなみにサッカー選手の夢は何となく捨てきれずにずっといました。

大抵がみんな大学サッカーでやめて就職活動するんですけどね。

・・

ただ、結局最後まで公式戦には一試合も出られませんでした。

ちなみに、トップチームに上がったことすら一度もないです。

唯一出たのは、引退試合でお情けの出場。

そういえば、そこでもゴール決めたな。

最後の試合にはなんかゴールを決める。そんな男です。

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・・

最後までコンプレックスまみれでしたが、サッカーだけは何とかやり切りました。

(あ、当然大学で彼女は一人もできなかったです。笑)

そんなこんなで就活の時期が来るんですけど、僕も例に倣って就活を始めました。

特にやりたいこともなく、なんとなくで面接を受けたりしてましたね。

そんな時に、大学に高校時代の後輩が入ってきたんですよ。サッカー部にも入ってました。

実家のような安心感があって仲よく遊んでたんですが、そいつとの出会いが僕の人生を変えたキッカケになったんです。

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そいつが、大学入って半年くらいで急に「僕サッカー部辞めて音楽やりますわ。」って言いだしました。

「は???」って思ったんですが、そいつの目がもう異様にキラキラしてたのを覚えてます。

僕はその時、脳死で就活をしてたのでそいつの決断に対して嫉妬というか、羨ましいというか、俺も自分の人生を生きたいというか。

猛烈に胸の高ぶりと後悔を感じました。

「あれ、俺なにしてんだろ」って。

 

僕の本当の夢は「プロサッカー選手」だったんですよね。

ずっとずっと、下手くそでもサッカー選手になりたいという気持ちだけは捨てきれずにやってきました。

みんなは、サッカー選手なんかにはなれないと悟って就活を頑張ってたんですが、僕はなぜか「俺ならなれる」って心のどこかで思ってたんです。

僕もその後輩の発言の時に決意しました。

就職はやめてサッカー選手に挑戦しようと。

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そこから、色々調べて、まず国内のJリーグには実力的に絶対に無理だと諦めました。

他にも、仕事をしながらサッカーをして生活するという道もありましたが、あくまで「サッカーで飯を食う」にこだわりたかったのでやめた。

そしたら、海外にはレベルが低くてもお金がもらえて生活できる国があるということがわかりました。

そこで僕は、就活を完全にやめて海外サッカー選手になるための努力をスタート。

まず、この腐り切ったコンプレックスまみれの自分を変えるために「メンタルコーチング」というものを受けます。

6ヶ月で25万円くらい。

コロナかなんかで貰えた支援金をここにぶち込みました。

めちゃくちゃデカい買い物でした。でも、それくらい本気にならないとプロサッカー選手にはなれないと腹を括ります。

そのメンタルコーチと一緒に目標を立てたんですよね。

【2022年2月1日までにプロになってサッカーだけで生活できるようになる】

という目標です。

これを立てたのは確か、2020年の8月あたり。

なので、1年半後くらいまでに達成するべく立てました。

そして、この期限までに達成できなかったらサッカーは諦めると決めました。

覚悟を決めるために周りにも言いましたね。当然みんなからは無理だと笑われました。

応援してくれる人もいたはいたんですが、多分「無理だろ」って心の中では思ってたと思います。

それでも僕はなぜかサッカー選手になれると思ってました。

そうして、僕の海外プロサッカー選手挑戦編へと入ります。

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人生が180度変わった海外サッカー選手挑戦編

僕は、大学を卒業する3か月手前の1月に海外挑戦のために渡航することに決めました。

海外でサッカー選手になるには、基本的には「エージェント」というものを使い、チームを紹介してもらってトライアウトを受ける形になります。

合格すればその場でプロ契約。

不合格なら即帰国、という超絶サバイバル。

帰国後には新卒カードを蹴ったニートというハンデのオマケ付き。

こんなに恐ろしく一発逆転の挑戦はマジでないです。

何度も挑戦を辞めようかやめまいか考えたくらい。

行く国は、マルタという国に決めました。

ヨーロッパの非常に小さな国ですが、英語圏で結構きれいでサッカーで生活できるし日本人も多いという最高な環境でした。

その挑戦日が近づき昔の友達や大学の友達から、励ましのプレゼントやご飯会を開いてもらっていよいよ明日!ってところでした。

当時は、コロナ全盛期で飛行機に乗るために「PCRテスト」を受けないといけなかったんですよね。

しかも結構高い。数万円くらい。クソが。

 

予想付きますか?

そう。そのテストに引っ掛かったんですよ。

陽性反応。

当然、飛行機に乗れるわけもなく購入したチケットはパー。

オマケにご飯会を開いてくれた友達は自宅謹慎になり、さらに大学のサッカー部の活動も停止させてしまったんですよ。

大学サッカー部は結構大事な時期でここでもみんなに責められました。

トコトンついてない男です。

僕は、飛行機に乗って挑戦するはずの日に、ホテル療養で5日間缶詰を食らうというわけのわからない状況でしたw

「俺は挑戦することすらできないのか」

と落ち込みましたね。

結局、また日を改めて挑戦することになりました。

マルタに行くのは諦め、「ラトビア」というヨーロッパの国に行くことに決めました。

マルタは絶対にお金稼いでリベンジ旅行します。

ただ、今思えば、このトラブルによる国の変更が僕の人生を大きく変えることになったと思います。

・・

・・

年が明けた1月、僕はラトビアに旅経ちました。

あ、ちょうどこのくらいにTwitterやブログを開設しました。

僕の海外生活が発信できればいいなと思ってノリで。

どうやって稼ぐのかとかはよくわかってなくて、なんか100記事書けば稼げるって言ってたのでとりあえず書いてたって感じです。

 

マルタでは現地に日本人のサポートの人がいると言っていたんですが、ラトビアは完全に単身での飛び込みです。

ただ、海外挑戦にあたって、同じく日本人が一緒に挑戦するということで空港から一緒にいきました。

その日本人との出会いが僕の人生を大きく変えましたね。

なんというか、漫画の世界から飛び出してきたようなネジのぶっ飛んだポジティブ人間でした。

そいつはナルトが好きで、まさにナルトみたいなやつでした。

バカだけど、熱い信念があって決して弱音は吐かず常に目の前のことを楽しんでワクワクしている人間。

どんな人にも明るく笑顔で、たぶん後にも先にもこんな奴と出会うことはないかもです。

そいつがぶっ飛んでたのは、小学校の時にスペインにサッカー留学をしたらしいんですよ。

そこからずーーーっと海外でサッカーをしていて、小学校の義務教育も受けてないような奴でした。

ありえなくないすか?

しかもその留学理由が、「スペインがワールドカップで優勝したから」って。

ぶっ飛びすぎでしょ。

普通そんな思考にはならん。スペインバカです。

彼は、英語はかなり喋れる方でめちゃくちゃ頼りになりました。

一方僕は、全くと言っていいほど喋れません。笑

そんな感じで二人でテスト会場の現場に向かいました。

・・

・・

そこは、一言で言うと、極限のサバイバルゲームといった感じでした。

僕と同じように、他の国からいろんな人がテストを受けに来てたんです。

10人くらいかな。

1週間練習に帯同して、週末の練習試合に参加して合否を決めるといった感じでした。

あ、てかまずクソみたいに寒いんすよ。

冬のラトビアって、マイナス20度くらい。

川が凍ってて歩けましたww

「うわ~世界って広えなあああああ」って思いましたね。

超刺激的でした。知らない世界。非日常。

肝心のトライアウトもグラウンドが雪まみれなんすよ。

実力を出せたもんじゃない。でも出さないといけない。

 

でも、翌日また練習に参加すると違和感を感じるんすよ。

「あれ?昨日いたはずの奴が今日いない・・・?」って。

翌日また行くと、居なくなっててさらに新しいテスト生が来てる。

そう。

極限のサバイバルゲームです。

明日は自分が居なくなるかもしれない。

継続or帰国。

ヒリヒリってもんじゃないすね。触れば大やけどの激熱サバイバルでした。

そんな状況でも、スペインバカは
「刺激的で最高おおおおおお」とか言ってました。

そうなるとなんか不思議なもんで僕も、刺激的な毎日にワクワクした気持ちも芽生えてきました。

 

翌日、さらに新しい日本人の奴が来ました。

そいつも高卒でドイツに渡って、ネジが2つ3つ外れてる奴でしたね。

こいつとの出会いも人生変えました。

この3人で1週間の練習に参加し週末に練習試合をしたら、「もう少し見たい」と思って貰えたみたいで1週間サバイバル延長でした。

その間も超絶刺激的な毎日だったんですが、ここでは割愛します。

そして、次の週末いよいよ合否が告げられました。

結果は、、、

不合格でした。

それも日本人3人そろって。

絶望でしたね。

「あーニートだーーーー。」って。

「人生負け組だーーーー。」って。

もう当然帰るしかないので、両親にも「落ちたから帰る」とそう伝えました。

でもね、ここでスペインバカとドイツバカの日本人2人は何て言ったと思います?

・・

・・

「飛び込みで他のチーム受けに行こうぜ!」

って言ったんすよ。

は????ですよね。そんなん漫画の中の話でしょって。

僕は固まりました。

そしたら、2人は僕に、「かけちも行くよな!」って言ってきました。

僕は二つ返事で「俺もいく!!」って言いました。

そう。僕は流されやすい人間なので。笑

ただ、この決断が後に僕の人生をさらに180度変えることになります。

・・

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まず、テストに落ちたことで「翌日には家を出て行ってくれ」と言われたので、一瞬にして家なき子。

そして金もないので、激安ホテル探しです。

そしたら、「Japanese Style」っていう日本人向けっぽいホテルで、しかも一泊300円とかで泊まれるところを見つけたんです。

神!!!!

ってみんなで叫びました。

そしたら実態は、一言で言えば「ヤク中ホテル」です。

明らかに目がイッた人が僕たちに薬くれって話しかけてきました。

怖すぎだろって思って部屋にこもったんですが、なんかギリギリWi-Fiが届かなくて結局共有スペースで震えながら三人で次のチーム探しを開始。

たぶん3チームくらい飛び込みしました。

でも結局全部テストすら受けさせてもらえませんでしたね

流石に落ち込む・・・かと思いきやバカ二人はどんな時もポジティブ。

新たに探し始めました。

その最中も一泊1000円くらいのホテルで泊まってたんですが、お湯もコンロもなくてあったかいご飯が食べれなかったです。

1つ50円くらいの長いフランスパン的なのを買って、そこにチョコをはさんだり、ハムをはさんだりして毎日激安生活してました。

でも、マジで寒いのとあったかいご飯が食べた過ぎて現地のラトビア人にナンパしたんすよ。

そしたらなんか仲良くなれて、「ご飯食べてない」ことを説明したらなんと作ってホテルまで持ってきてくれました。

これ。⇧

冗談抜きで人生で一番うまかったです。

じゃが芋と肉のよー分からんやつだけど、久々にあったかい飯食ったら震えました。

人間極限状態になると、何にも怖くなくなるんだなって思いましたね。

他にもネタが無限にあって書きたいですが割愛。

・・

・・

そんなこんなでラトビアでは結局何の成果も得られずに、隣のリトアニアって国にテストを受けれるチームがあるみたいでそこに行きました。

この時すでに、1か月くらいは経ってましたかね。

リトアニアでもマジで色んなことがあったんですが、結局3チームぐらい受けて1つも合格しませんでした。

この時点で入国して2か月ほど経っていたので、もう万事尽きたってことで帰国しました。

ただ、不思議と気分は晴れやかでしたね。

待っているのはニートなんですが、もう一回海外挑戦しようと決めて帰国したからです。

冬の移籍市場と、夏の移籍市場があるので、半年バイトとサッカーしながらまた挑戦しようと決めました。

僕が目標に立てた期限もまだ先だったし。

この2か月で僕は強烈な体験をしました。たった2か月ですよ。

この2ヵ月で「失敗しても死なない」って学んだんすよ。

これってシンプルだけどマジで人生がイージーモードになります。

人生を賭ける様な挑戦って価値が高いです。

成功したら儲けもん。失敗しても儲けもん。

生きてればOKになります。

人生がコンテンツになった瞬間です。

ただ、僕はここで海外挑戦を終わらせなかったのでこの2か月は、

失敗ではなく過程になりました。

 

ってことでポルトガル編に突入です。

・・

・・

天国と地獄を味わった海外サッカー選手編

帰国後半年、日本でサッカーとバイトをしながら生活。

その後、ポルトガルに再度挑戦しました。

PCR検査は無事合格ww

 

ポルトガルでは、まず英語を喋れる人は多くなかったです。

そのため、ポルトガル語で会話してました。

ポルトガル語なんて当然知らないので、僕は、「数字」と「挨拶」だけを引っ提げて入国。地獄でしたねww

もう、さっぱりぴーまん。わけわかめ。

でも、ブラジル人が多くてメッチャ陽気なんすよ。すぐ仲良くなれました。

外国人がカタコトで日本語話してるのってなんか面白いじゃないすか。

ボビーオロゴンみたいなあれです。

それをバカになってひたすらやってたらすぐに打ち解けていきましたw

日本じゃ絶対に取れない笑いで、かつ超簡単に笑いを取れるのでオススメ。

・・

まあ、それはさておき、僕は結果的にこのポルトガルで晴れてサッカー選手として契約することになります。

ただ、ここでも試練しかなかったです。

海外って適当な国が多いんすよ。ホント。

僕のプロ契約は出来たんですけど、ポルトガルのサッカー協会への申請が間に合わなかったみたいで、公式戦には出られませんでした。

結局、夏に契約して出られたのは冬。

半年くらい、ただただ練習だけしてました。フザケンナ。

ガチでしんどかったですね。お金も貰えなかったし。

親にもたくさん迷惑かけました。

部屋は、ブラジル人と4人部屋で何喋ってるか分かんねえし、手癖悪いからすぐ物がなくなるし、部屋はきたねえし。

ただ、ポルトガル語はうまくなりました。

ポルトガル語をポルトガル語で学んでたんですけど、マジでわけわからないけどなんかやっぱり覚えました。

日常会話程度なら3か月で多少話せるようになりましたね。

環境ってホント大事だなって。

「話したいな~」ではなく、「話さないと生きていけない」の環境なんで、いやでも勉強しました。

痛みを最初に伴うことってマジで大事です。

お金しかり、環境しかり。

モチベとか関係ないですよね。
これも結構強烈な学びでした。

英語は何年も勉強しても話せないのに、全くの無知のポルトガル語は3か月ですから。

そんなこんなで、ついに冬になり初の公式戦です。デビュー戦。

僕はかなり期待されて試合に臨みました。

結果、大やらかしのボロッボロ。

正直、ド緊張してたんですよ。メンタル激弱でした。

あれだけ、「メンタルコーチング受けても結局ダメか」って思いましたね。

そのあとの数試合もパッとせず、練習ではできるプレーが試合で出来ないんです。

相当落ち込みました。

てか、普通に泣いたし、泣きながら母に電話もしました。

「帰りたいよう・・・」って。

クソ恥ずかしいですが、弱音はきました。

・・

でも、やっぱり何とか踏ん張ってもう一度メンタルと向き合ったんですよね。

結論、「思い込み」をしました。

自分はメンタル強い。自分はメンタルが強い。自分はメンタルが強い。

思い込みって、舐めてますが最強なんですよ。

人って、自分のメンタルが弱いと感じるのって全部思い込みでしかないんです。

メンタルが強そうに見えるあの人も、実は思い込みで隠しているだけかもしれない。

いいほうに思い込むと、自然とそういう人間であろうと脳が動きます。

逆に悪いほうに思い込むと、悪いほうに行動しちゃうんですよね。

面白いです。

そしたら、どんどん試合で活躍できるようになってついに初ゴールを決めれました。

動画

僕自身も全試合にフル出場して、チームもリーグ優勝して最高の経験が出来ました。

さあ、これからだって時でした。

・・

・・

ある時、試合の後僕が急に呼吸が苦しくなって倒れたんですよね。

そのまま病院に連れていかれました。

段々落ち着いたので帰れるかなって思ったんですが、なぜかその日は病院に泊まることに。

大事を取ってかなと思ってました。

翌日。

僕は心電図の検査やら、心臓の検査をたくさんさせられました。
ポルトガルの美人金髪ナースでした。

そしてそのまま、医者に呼び出されます。

そこで、何やらツラツラと医者が喋ってます。

僕は、ブラジル人がチームメイトに多くて、「ブラジルポルトガル語」を学んでいたんですよ。

でも、ここはポルトガルの病院で「ポルトガルポルトガル語」を喋ってきて、全然聞き取れないんですよね。

でも、ある単語だけは聞き取れたんです。

「Voce nao pode jogar futebol」

日本語で、

「あなたはサッカーが出来ません。」

・・

・・

「は??何言ってんだこいつ」って思って聴き返しました。

「nao posso jogar futebol?」

「僕はサッカーが出来ない??」

すると、

「Sin.」

「そうだ。」

って。

・・

そう。
僕は、何やら難病指定の心臓病の疑いがあるらしいと。

後でググると、スポーツ選手の突然死の死因ナンバーワンの病気と書いてありました。

そのあと、チームの監督とその奥さんが病院に来てくれて、医者が説明をしていました。

その監督と奥さんは話を聞いた後、僕をギュッと抱きしめました。

そこで僕は大泣きしました。
実感がわいたんですかね。

その後、帰って一緒に食べたラザニアの味は決して忘れません。

 

そんなわけで、そのまま僕は残り三試合を残して強制終了。

次の試合は、勝てば優勝の大一番でした。

僕は、スタンドから見ることしかできなかったです。

マンガみたいですよね。

悔しくて悔しくてたまらなかったです。

でも、その試合でチームメイトがゴールを決めたときに、僕のユニフォームをスタンドの僕に掲げるゴールパフォーマンスをしてくれました。

もう、大号泣。

ウワンウワン泣きました。

サポーターのみんなと一緒になってウワンウワン。

そしてチームはそのまま優勝。

それと一緒に僕のサッカー人生も幕を閉じました。

・・

・・

「人に物を売る」というネジを外した会社員営業マン時代編

1年間いたポルトガルから帰国し、一応日本でも心臓病の検査をしました。

しかし、診断はポルトガルの時と同じで難病指定の病気でした。

「肥大型心筋症」って言うらしいです。

そんなわけで、僕は就活を始めました。

両親は、「切り替え早っ!」って驚いていましたが、僕の中ではサッカー選手はやれるだけのことはやったので後悔はなかったです。

ってことで、どうしようかなと思い、

なんとなくで、「営業マン」やってみたいなと思いました。

この時の僕の営業スキルはというと、正直底辺レベルかと。

おばあちゃんに、「あんた営業なんかできんのか?やめといたら?」って言われたほどです。

喋りはそんなに得意じゃなかったですね。

・・

ちなみにこの時くらいから、Xやブログをガチでやり始めました。

海外にいたときもやってたんですが、500フォロワーでブログも100記事書いたんですが収益はたったの1000円。

webライターもたまにやって、月3万円くらいは稼げましたが限界を感じて辞めました。

今でこそ、8000フォロワーや何百万と稼げる様になって脱サラもしたんですが、当然僕も下積み時代がありました。

・・

・・

肝心の営業は、まあスッカラカンでした。

最初は上司に同行していたんですが、その時は「余裕やん」なんて思ってました。

でも、いざ1人で行ってみるとまあ売れない売れない。

1か月で10件とか行って、1件も取れないなんてことはザラでした。

問題点は明白でしたね。

「売り込めない」ことです。

性格的に無理だったんですよ。

営業マンって、お客さんに断られてからが勝負みたいなところがあります。

でも、そこで強く切り返していけないんですよね。

嫌われるのが怖くて。

営業マンって本当に難しい仕事です。
みんなやりたがらないのもよくわかりました。

売れなくても基本給はもらえるんですが、売れないと会社での存在意義が消えていきます。

給料泥棒のような感覚にもなる。
てか、実際そうです。

結果こそが全ての世界。

僕はそれでもいまいち殻を破れず、何となくで営業をこなしていました。

てか、毎日辞めてえって思ってましたね。

苦痛でした。

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Xの方は副業でガチってやってたんですが、ある時シャドウバンになったんです。

なので3日間Xを触らないようにしました。

そこで、「よし、営業をガチってみよう」って思ったんですよね。

半年後までに全国営業成績トップ10入るぞて。

その日の夜に本屋に行って、営業の本を2冊買いました。

読み漁ると、「営業は台本が命」ってのと、
「即決を迫るのが大事」と学びます。

僕はすぐさま、トークスクリプトを作って丸暗記しました。

そして、お客さんに断られた時の切り返し文句も全部ノートに書きだしてすべての状況に対応できるようにしたんですよね。

家でも移動中の車でもお経のように唱えてました。

営業中も録音をして何度も聴き返しました。

1現場で5訴求をテーマに、断られても何度も何度も切り返して即決を迫ったんですよね。(まあまあゴリゴリ営業。笑)

その切り返し方も工夫があって、相手が不快に感じずに自ら決断をするよう迫るので嫌々契約というわけでもないですが。

と、こんな感じで猛スピードで営業を学びました。

実践もしまくりました。

そしたら、やっぱ結果って出るんですよね。

月に1件も決まらなかった契約が、4件5件と決まるように。

やっぱ楽しくなりますよね。こうなると。

突然結果がガンガン出だしたんで、社長にも褒められて、アドバイスを求められるくらいでした。笑

「こういう時どうやって返すの??」って。

気が付いたら、全国営業成績トップ10入ってました。
月間ですが。

目標達成しました。

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んで、これをXで発信し始めたんですよ。

「セールスライティング」と絡めて。

明らかに反応良くなりましたね。営業経験も相まって説得力もあったかと。

アフィ収益も上がるようになってきて、月5万円とか10万円とか稼げるようになってきました。

「あれ?コンテンツ出せんじゃね?」って思って出したのが、

これです。

>>>アフィセールス教材

 

200部以上売れるベストセラーに。

8か月経った今でも売れ続けてます。

初めて、会社の給料を超えました。

その後初めて、月100万円達成しました。

「セールスって学んだらつええええ」って思いましたね。

まあ、よく考えたら稼ぐにはモノを売らないと稼げないので、セールスを学んでないのは論外でした。

学びってホントに資産です。お金を払ってでも僕は学び続けたいと強く感じました。

そんな営業マン時代もつかの間。

爆速で脱サラ編へと入ります。

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爆速で脱サラを決意し現実にする脱サラ突入編

元々、僕は脱サラなんて考えてなかったです。

「いつかできたらいいなあ」くらいでした。

そんな僕が、明確に脱サラを決めた出来事が。

それが、「ブロガーオフ会」でした。

Xで知り合ったブロガー仲間10人くらいがオフで集まるやつに参加したんですよ。

そこには、半分以上がフリーランスの人で、めちゃくちゃ稼いでる人たちが集まってました。

そこで言われたんですよ。

「かけち、仕事辞めないの~?」
「副業やってるってことは今の本業に満足してないんじゃないの~」

って。

僕は、「いやいや、辞めないっすよ~」ってあしらいましたが、ここで何となく脱サラを意識し始めた気がします。

その後日、またオフ会を3人で行って、そこでも2人はフリーランスだったので話を聞きました。

どういう経緯でフリーランスになったかとか。

その場で決めましたね。

「僕は、来年の4月に仕事辞めます」って。
(この時は7月なので9か月後)

その晩に、母に電話しました。

「俺、仕事辞めるかもしれん。」って。

ビックリはしてましたが、ああそうなのといった感じでした。

その日から、僕は12月までに30万円安定して稼げる様にするって目標を立ててガチでXに向き合い始めました。

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人間って、ホント環境設定ですよね。

その月の7月に70万円稼ぎました。

翌月は80万円。

その翌月は、100万円。

11月には、150万円稼ぎました。

毎月30万円の目標のはずだったけど、いつの間にか500万円近く稼ぎました。

この時はホントにひたすらにコンテンツ作って、長文ツイート毎日だしてましたね。

仕事から帰って、飯食って夜中の1時とかまでマックで作業してました。

休みの日は、一日中カフェにこもって作業してました。

無我夢中っすよね。

そりゃ結果も出ます。

この辺の結果をどうやって出したかは、XやブログやYouTubeで発信してるので全部見漁ってください。

 

そんな感じで結果が出てきたので、僕の中では「4月まで待てねえええええ」って感情になってました。

ということで、4か月予定より早めて12月いっぱいで脱サラを決意し退職しました。

10月入社だったので、1年と2か月で爆速脱サラです。

これが僕の脱サラストーリーです。

ただ、思わぬ落とし穴が。

脱サラ後に僕は人生最大に病みます。

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人生最大に心を壊した脱サラ後。そして僕の信念。

脱サラ初日。

もーーーーう最高でしたね。
この日のことは忘れられません。

朝、目覚ましを掛けずに9時くらいに起きて、ゆっくり朝食の卵焼きとソーセージを作りご飯とみそ汁をのんびり食べる。

そのまま、クリスマスに彼女と食べる用のケーキを買いに行って、もちろん平日の昼間だから空いてるし、売り切れなんてこともない。

帰ってきて昼間っからブログ書いて、自分のコンテンツを量産していく。

「え!?何この生活!?最高やん!!」って。

これ知っちゃうと、もう社会人には戻れないっすね。

しかも、給料の天井もない。自分次第で何千万、億と稼げる世界。

あの時、怖かったけど決断してよかったと心から思いました。

海外に挑戦した時と同じです。

痛みを伴う挑戦はメチャクチャ価値が高いです。

脱サラする人を増やしたいとも強く思いました。

だって、時間が増えるってとんでもない価値だから。

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と思ってたんですが、、

人生最大の出来事が。

結論から言うと、脱サラから1か月経って、
僕は鬱っぽくなりました。(自己診断です)

詳しくはこちらで↓
>>>https://kakechiblog.com/yasumu/

 

自分の時間が増えたということもあって、色々考えすぎちゃったのもあると思います。

大きな影響力を振りかざして批判をして自分を伸ばす大手インフルエンサーや、収益の大きさで比較してしまう自分や、将来に対する漠然とした不安やらで。

とにかく無気力になって、三日三晩飯もろくに食わず、風呂も入らず、連絡も全て遮断して生活してました。

流石にヤバいと思って実家に帰っておいしいご飯を食べました。

初めて、「うつ病 症状」って検索掛けて調べたら、8割当てはまったんですよね。

残りの2割は、

・なぜかわけもなく涙が出てくる
・死にたいと思う

って感じでした。

そして、その翌日、
僕は朝母が作ったかぼちゃの煮物を食べてたんですよね。

別にそんな好きでもないメニューだったんですけど、
突然涙がこぼれてきました。

それも母に隠せないほどの大粒の涙。

あれ、そんなにかぼちゃが好きだったかなと思いながら、昨日のことを思い出しました。

なぜかわけもなく涙が出てくるです。

その時思いました。

「あ、俺、心壊れてたんだ。あとは、死にたいって思うだけやん。」って。

自分の弱さを受け入れました。

いろんな経験をしてきたけど、まだまだ弱い自分です。

それで僕は休みました。(結局、3日も休まず回復したんですが)

そのきっかけの一つとして、一冊の本との出会いがありました。

これです⇩

 

深くは語らないですが、僕にとってこの本は衝撃的でした。

人生を変えた一冊と言ってもいいですね。

タイトルにもあるように、「朝、起きられなくたっていい。」って。

僕の中でずっと、脱サラしてから新たな目標を探していました。

今までは割と、目標がある人生でその目標に誰よりワクワクしてたんですよね。

脱サラもその一つでした。

でも、「これだ!」という目標がなくなって生きがいを失いかけていたのかもです。

でも、この本を読んで気付いたんですよね。

何というか、要は「今やりたいことを今やろう」って。

そうやって本には書いてありました。

だから、僕はずっと買うのを我慢していたスマブラをすぐ買いました。

ガーーーっとやったんですが、(たった1時間くらい)

めっちゃスッキリしたんすよ。

そしたら、「あ~!ブログ書きてえええ!」って思いました。

なのでブログ書きました。

そしたら、次々にやりたいことが見つかってくるんですよね。

前までの僕は、やりたいことを我慢して我慢してそれでもできない自分に嫌気がさしたり、他人と比較したりして心を壊しました。

今やりたいことを我慢してると、本当にやりたいことがわからなくなってくるんですよね。

そのことに気が付きました。

あともう一個気が付いたことも⇩

うつ病のことはうつ病から立ち上がった人に聞け。ビジネスはビジネスで成功した人に聞け。
2024年の2月は、メンタルが落ちてるんで こういう「うつ」系のブログ記事が多いですが、 非日常?の経験をするってやっぱり学びが大きいんですよね。 ビジネスの考え方が身に付くと、どんなマイナスな体験も学びに昇華できて結構楽...

 

んで、「今やりたいこと」を実現するにはやっぱり、お金だったり時間が必要なんですよ。

だから、僕はそういう自分になるために今こういう記事も書いてるし発信もしてます。

そして、これを読んでくれてるあなたにも。

時間とお金の裕福を掴んでもらうお手伝いをしたい。

僕の人生のコンセプトは

Life is Contents.です。

人生をコンテンツにしたいんです。

自分も、自分のことを追いかけてくれる周りの人も。

そして、この先の野望もあります。

それは、

自分の人生の自伝を出したい。

です。

やっぱ僕は文章が好きだし、文章で自分の人生を書いた本を出して、その本で誰かの一歩踏み出す勇気とか人生を変えるキッカケになりたいって野望があります。

だからこそのLife is Contents.だったりもします。

 

過去の自分がピークなんてことにはしたくない。

あの時の海外挑戦をしていろんな経験をした自分を超えたいんです。

常に。

そんでもって、

僕と同じように弱さで悩んでる人が居たらこう言える発信者・人間でありたい。

「もう大丈夫。僕が来たから。」

って言える人に。

心に一切の濁りなく、純度100%の言葉で言える人間に。

これが僕の信念です。

そのために僕の人生は常にピークであり続けます。

 

長い文章読んでいただきありがとうございます。

僕の人生は続くので、この続きも追記していくはずです。

「Life is contents.」

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