あの時の輝く自分を超えたいけど超えられない。過去の栄光コンプレックス。

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こんにちは。かけちです。

 

僕にはコンプレックスがありました。

それは、

「あの時の輝かしい自分を超えられる気がしない」

ということです。

 

いわゆる過去の栄光ですね。

いつまでも過去の栄光に縋って自慢話している大人ってすごいダサくて嫌だったんですよ。

 

「あ〜あの時の俺が一番輝いてたな〜。」

「あの頃に戻れたらな〜。」

「俺今でこそこんなダサいおじさんだけどあの頃はすごかったんだぜ。」

 

それって、”今のあなたには価値がない”んですよね。

って。

 

 

そんな自分も過去の栄光に縋ってばかりで

「今」の自分は何もなし得ていないなと。

 

自分ダセェな。

カッコわりぃな。

超コンプレックスを持っていた時期がありました。

 

ただ、今では、
今の自分が最高に好きです。

 

過去ではなく、間違いなく今が人生の絶頂期だし。

今後もそれを毎年毎月のように塗り替えていける自信と野望があるからです。

コンプレックスなど気がつけば消えていました。

誰かの評価など関係なく自分が自分を好きです。

 

 

今回はそんな「過去の栄光コンプ」を克服した話をします。

 

 

なぜ話そうと思ったかと言うと、
先日ビジネスの悩みでzoom相談をしていた時の話です。

その方は、元プロボクサーという方で素晴らしい栄光をお持ちでした。

しかし、
引退してから5年とか経っても
いまだに友人からボクサーと言われると。

「あれ、俺ってあの時から時間が止まってね?」

そう思うようになったとのことです。

 

 

僕も、この話には超共感で頷きながら聞いていました。

 

 

僕の過去の栄光コンプレックスで言うと、

海外プロサッカー選手だった時です。

 

 

 

 

もう強烈すぎる過去の栄光です。

 

僕はポルトガルで1年間サッカー選手をしていたのですが、まずそれを言った時点で相手の反応がいいです。

プロテストに合格して通訳者もいない中孤独で、サッカーという武器でお金をもらって生活をしていました。

 

サッカーで飯を食い、
ブラジル人4人と共同生活をして、
1試合勝つ度にバーベキューでお祭り騒ぎ、
リーグ戦でも優勝をして大大パーティー、

外国の地に2年以上経った今でも連絡をする友人ができたりと、いったい日本人で何人が経験できるか?という経験ができました。

 

さらに、心臓病が見つかり1年で夢は潰えて引退・・・

というおまけ付き。

 

自分で言うのも何ですが、それはもう漫画のような世界の体験でした。

 

 

その後サッカーは引退して、
僕は普通にリフォームの営業マンになりました。

最初は新しい世界に胸を躍らせていたんですけど、1ヶ月も経たないくらいで感じ始めました。

 

「あれ、俺の人生のピークはあの時でもう超えられないのか・・・?」

 

 

「この変わり映えない日々をあと40年も繰り返すのか・・・?」

 

 

そう思うと絶望でどうしようもなかったです。

まあ、でもそんな夢追う年でもないしな〜とか言い訳をしていました。

 

 

そんな日々を送っている中で、
昔の友人と久々に会って居酒屋に行きました。

昔話に花を咲かせながら、
僕は海外生活のことをたくさん話しました。

その友人も「すげ〜〜〜!」と感動していて僕も得意げです。

 

そんな感じで、
一通り話し終えた時に友人が僕に聞いたんです。

 

「そんなお前の今の夢は?」

 

「・・・・・」

 

僕は、答えられませんでした。

 

1年前までは、
「俺は海外でサッカー選手になる」
「海外で有名になって大金持ちになって海外の豪邸に住む!」

って言ってました。

その時の夢に向かっている自分は本当に好きだった。

 

そんな僕は今、
何の夢もないただ漠然と何のためかわからない仕事をする毎日を過ごしていて、

僕が嫌いだった
過去の栄光に縋って自慢話する奴に成り下がっていたことに気がつきました。

 

 

僕は自分の回答を諦め、
照れて誤魔化しながらその友人に同じことを聞きました。

僕「大金持ちになることかなwwじゃあ、お前の夢は?」

「俺は今の研究をドイツでやってノーベル賞とか取りたいな。」

 

そう間髪入れずに友人は答えました。

 

「ドイツ!?ノーベル賞!?なんだよ昔は俺より頭悪かったのによ。ww」

と小馬鹿にしながらも、
僕は心底その友人がカッコよく見えました。

というか小馬鹿にしてないと自尊心を保てなかった。

 

 

誰しもこう思う時があると思います。

 

「あの時の自分が一番輝いていた。」

「あの時代に戻りたい。」

 

でもこれっていい変えれば、

「今の自分はツマラナイ人間だ」

と言っているのと同じことです。

 

分かってはいる。

分かってはいても現状を変えられず
あの時の夢にガムシャラだった自分を超えられない。

 

それは高校時代の部活動の時かもしれないし、
受験勉強の時かもしれないし、
ビジネスをしている時かもしれないし
副業で脱サラに向かってやっている時かもしれないし、

 

人それぞれあると思います。

 

 

 

この頃から僕は強烈にコンプレックスを感じるようになりました。

人生のピークがもう来ないってこれこそ絶望です。

 

 

これから先一体何にワクワクすればいいんだろう。

何のために自分は生きているんだろう。

 

 

そういえばこれを書いていて思い出しましたが、

僕が新卒会社員という一般的なレールの上を外れて海外サッカー選手を目指す道を歩もうと思ったのは、大学時代のある後輩がきっかけでした。

そいつは、僕と同じ高校から同じ大学のサッカー部に入ってきたのですが、

半年ほどで「僕サッカー辞めて音楽やりますわ。」と言ったんですね。

 

「まじかこいつ。何しに田舎から東京前来てん。」

 

そう思ったのですが、
その後輩の目はキラキラ輝いていました。

サッカーの夢を諦めて死んだ目で就活していた僕には十分すぎるくらい眩しかった。

 

それがきっかけで僕は就活を辞めて海外挑戦を決めました。

 

 

この時の自分は死ぬほど将来に不安を抱きつつも、
死ぬほどワクワクして輝いていたと思います。

まぶかった。

ギラギラ。

 

 

就活していた時の自分と、
サッカー引退して目標もなく営業マンをしていた時の自分は

同じように死んだ目をしていたと思います。

 

 

強烈にあの時の自分を超えたくなった。

 

 

人生のピークを23歳で終わらせたくはなかった。

 

 

いくつになっても少年のようにカッコいい男でありたかった。

 

 

 

だから僕は、
「脱サラ」を決意しました。

この時の副業収益は月5万円とかでした。

 

 

知らねえ。関係ねえ。

人生を輝かせるのは誰でもなく自分だ。

 

そんな風にメラメラ燃えていたと思います。

そう決意して、
「2024年4月1日までに月30万円3ヶ月安定させて脱サラする。」

と周りに宣言しまくって逃げ場を無くしました。

 

そっからの自分は強かった。

 

毎日毎日仕事なんかそっちのけでSNSにのめり込み、

仕事から帰って夜中の1時2時とかまでマックで作業をしていた。

 

今のままじゃ到底目標は達成できないと思い、
ずっと逃げていた高額のコンサルも受けた。

死ぬ気で学んで死ぬ気で実践。

 

翌月、月70万。

 

月30万と思っていたのが、
脱サラするにはもっと稼げた方がいいと思い、

アフィメインから、
コンテンツ販売をしたことで一気に伸びた。

 

その翌月、月80万。

 

そのまた翌月、月100万。

 

最高に嬉しかった。

もっとこの期間に伸ばしたくて、
また高額コンサルを受けた。

 

翌月、月150万。

 

目標を大幅に更新です。

 

僕は2024年4月脱サラの予定を前倒しして
2023年12月いっぱいで脱サラすると会社に伝えた。

それは、脱サラを決意してから5ヶ月ぽっちの話です。

 

 

そうして僕はあの時の栄光を越えるべく第二の人生の幕開けをしたのである。

 

 

ただ、脱サラしてからも僕は物足りなさを感じてました。

最初は楽しかったです。

朝起きなくていいし、
会社の携帯の着信音に怯えることもないし、
クレームも来ないし、
自由な場所や時間で働けるし。

 

でも、また目標を失って死んだ目をしてただ家でゴロゴロアニメを見る毎日でした。

 

ものの1ヶ月で飽きましたね。

しかも売上は少しずつ低迷していき
その安定収入のなさから不安で鬱っぽくなりました。

 

その時書いた超リアルな鬱記事です。

>>>休む!!!

 

 

誰とも関わりのない日々。

自分の生活のためにパソコンと睨めっこの日々。

 

あれ?俺は何のために脱サラしたんだ?

あれ?俺は何のために生きてるんだっけか?

 

わからなくなっていきました。

 

 

まあ、僕の人生は
海外サッカー選手と脱サラなので割とレアな経験。

だんだん過去の栄光を越えるのが難しくなってきますw

 

 

そんな時に僕はある起業家の方と出会います。

その方はツマラなさそうにしている僕とは裏腹に、

「稼ぐことが超楽しい」と言っていました。

 

その方の周りにはコンサル生がいて、
そのコンサル生は死ぬほど結果を出してる。

そしてそのコンサル生と楽しそうに友達のようにしている。

 

なんだこの世界は!?

 

そう思いました。

稼ぐほどにつまらなくなっていくと感じていた自分と、稼ぐほどに楽しい人生を歩んでいるその人。

 

その世界線に行きたいと強烈に思いました。

僕はその場で600万するコンサルを15分で決断。

 

その時の話はこちら↓

格上の億超えマーケター方と3泊4日のワーケーションに行った話。

 

そこからはまたガムシャラの日々。

鬱だった僕が別人のようになって
「かけちさん変わりすぎw」
「マインド高すぎw」

こんな風に言われるようになってました。

 

そこから77日で僕は740万円を稼ぎ、
1年で1500万円以上を稼げるようになりました。

 

孤独で寂しかったのも、
同年代で同じように稼ぐ人と仲良くなれて
平日からシーシャに行ったり、

毎月のように3泊4日のワーケーション行きました。

(これクソ楽しい。笑)

 

 

旅行中に稼ぐこともできて旅費が浮くというのも結構いいものです。

 

あとは、コンサル生もたくさんできて
たくさんのコンサル生が結果を出してくれました。

「かけちさんのおかげで人生変わりました!」

と言ってくれる。

 

 

こんなに幸福なことはないです。

今度コンサル生たちと屋久島にワーケーションに行きます。

あ〜幸せ。

 

 

もうここでは描ききれないくらい、
毎日が目まぐるしい生活になりました。

 

「あの時の自分を超えられる気がしない」

 

そんなことをコンプレックスにして生きていた時の自分はどこか遠くへ消えていきました。

 

 

今振り返ると、
過去の栄光コンプレックスを克服した時は、

全部”リスクを背負った決断”をしていました。

 

新卒カードを蹴って海外挑戦を決意した日。

一度は海外挑戦失敗したがまた挑戦を決断した日。

安定収入を蹴って脱サラを決断した日。

残高300万で600万のコンサルを受けると決断した日。

 

 

あの時の栄光の自分はやっぱ栄光だから
そんな生半可な決断では超えられないわけですよ。

歳をとるほどに背負うものも多くて
その決断のハードルは上がりますし。

 

でも、この大大リスクを跳ね除けた時の達成感と言ったらないっすよ。

 

リスクなんてデカければでかいほどに人生が輝きました。

 

これが僕の「過去の栄光コンプ」を克服した方法です。

 

 

あの時の自分を超えるのは簡単じゃない。

でも過去の栄光で飯を食うだけの人生はもうまっぴら。

 

僕の夢は僕の人生を描いた自伝を出すことです。

 

今は僕のビジネスノウハウをコンテンツにして売っているけど、自分の人生をコンテンツにしたい。

 

Life is contents.

というのが僕の人生の理念です。

 

 

そしてそれで勇気づけられる人を増やしたい。

 

また、この瞬間を越えるために僕は前に進みます。

 

 

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僕は今、Xで情報発信を仕事にし脱サラをして毎日のんびり自由に
最高の人生を過ごしています

毎月、月300万、400万と
お金を稼げるようになりました。

そんな僕は、

学生時代はサッカーをガチでやって、卒業後は海外でプロサッカー選手として

サッカーで飯を食っていた人間です。

その頃から、ブログやXで情報発信を始めました。

サッカーを引退後は、営業マンとして社会人デビューをして

その傍ら、Xやブログで情報発信を行い11カ月ほどで1415万円近くを稼ぎました。

残業ゴリゴリで休み週1の副業でこれだけ稼げたので、割といいほうだと思います。

そして、社会人デビューしてたったの一年で脱サラをして、現在に至ります。

自分で言うのもなんですが、なかなか異色の経歴を持っているかなと。

そんな僕の過去を書いた
自己紹介記事があるので興味ある方はぜひ↓

【自己紹介】イジメられてたヘタレな僕が海外サッカー選手になり、引退後情報発信で脱サラし1年1500万稼いだ話。
初めまして。かけちといいます。 こちらは、僕の自己紹介記事になっています。 僕のこの情報発信に対する信念や、 人生の野望や夢を書いた信念記事もぜひ↓ 僕は今、Xで情報発信を仕事にし脱サラをして毎日...

 

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